このページは別記事で描いたVaundyの『飛ぶ時』という曲をモチーフにした、私の妄想ストーリーの紗菜側の視点ですφ(・ω・`)
元記事を読んでいない方は、元記事からご覧になっていただければ幸いです。ρ(._.*)ρ

それでは「飛ぶ時(紗菜視点)」(´っ・ω・)っすた~と
『飛ぶ時(紗菜視点)』
紗菜視点 第一章 待っていた背中
湊は昔から、ちゃんと不器用だった。
小学生の頃、転んで膝を擦りむいても「痛くない」と言い張るようなやつだった。
中学では、部活で負けても悔しそうな顔を見せなくて、
高校では、受験に失敗した夜でさえ「まあ、仕方ない」と笑っていた。
でも私は知っていた。
あの人は、平気なんじゃない。
平気なふりが、上手いだけだ。
昔からずっと。
だから、放っておけなかった。
高校二年の春。
教室の窓際、一番後ろの席。
夕方になると、西日がまっすぐ差し込んで、
教室全体がオレンジ色になる時間が好きだった。
その時間だけは、
みんな少し静かになる。
部活に向かう足音。
廊下の笑い声。
風で揺れるカーテン。
青春って、たぶんこういう匂いがする。
その窓際で、
湊はいつも外を見ていた。
野球部を辞めたばかりだった。
本当は、もっと続けたかったんだと思う。
でも肩を壊して、
投げられなくなって、
夢みたいに当たり前だった未来が、
急に消えた。
それなのに。
「別に、向いてなかっただけ」
なんて言う。
ばかだな、と思った。
そんな簡単に諦められるなら、
そんな顔しないくせに。
私は隣の席から、
ずっとその横顔を見ていた。
夕焼けの光が、
少しだけ寂しそうに見せる。
たぶん、
あの頃からだった。
好きになったのは。
理由なんて、
ちゃんと説明できない。
ただ。
頑張ってるくせに、
それを隠すところとか。
本当は優しいくせに、
変なところで冷たいふりをするとことか。
ちゃんと傷つくくせに、
笑ってごまかすところとか。
全部。
たぶん、
ずっと好きだった。
「また見てる」
放課後。
音楽室の帰り道で、
親友の美咲にそう言われた。
「何を」
「湊くん」
「見てない」
「いや見てる」
即答だった。
この子は本当に容赦がない。
「わかりやすいんだって」
「うるさい」
「告白しないの?」
心臓が、少しだけ跳ねた。
私はわざと平然を装って、
自販機のボタンを押した。
炭酸の音がやけに大きい。
「……しない」
「なんで」
「今じゃない」
美咲は呆れたみたいに笑った。
「その“今じゃない”で三年経つよ」
図星だった。
痛いくらいに。
でも。
言えなかった。
もし、壊れたら。
今みたいに、
隣で笑えなくなったら。
それが怖かった。
好きって、
言う方が楽な時もある。
でも、
言わない方がずっと苦しい時もある。
私はたぶん、
ずっと後者だった。
大学に入っても、
社会人になっても。
湊は変わらなかった。
不器用で、
優しくて、
ちゃんと不甲斐なかった。
夢を追いかけて、
傷ついて、
それでもまた前を向こうとする。
そんな背中を、
私はずっと見ていた。
たぶん、
待っていたんだと思う。
この人が、
ちゃんと自分で選ぶのを。
仕事も。
未来も。
そして、
誰を好きでいるのかも。
待つって、
思ってるより疲れる。
優しくするたび、
少しだけ苦しくなる。
隣にいるのに、
手を伸ばせない。
そんな日々だった。
それでも。
嫌いになれなかった。
たぶん、
好きってそういうことなんだと思う。
春の終わり。
あの夜。
返信のないスマホを見ながら、
私はため息をついた。
『ちゃんとご飯食べてる?』
既読はつかない。
でも、
きっとあの人はまた、
あの橋にいる。
落ち込むと、
いつもそこに行く。
知らないと思ってるのは、
本人だけだ。
「ほんとに、ばか」
小さく呟いて、
カーディガンを羽織る。
夜風はまだ少し冷たい。
でも、
たぶん今夜は行かなきゃいけない。
待つだけじゃなくて。
ちゃんと、自分も進まなきゃいけない。
飛ぶ時なんだと思った。
あの人も。
たぶん、私も。
駅前を抜けて、
川沿いの道を歩く。
橋の上。
思った通り、
湊はそこにいた。
夜空を見上げる背中。
ひとりで。
ちゃんと、寂しそうに。
私は少しだけ笑って、
静かに声をかけた。
「また、そうやって一人で沈んでる」
振り返ったその顔が、
少しだけ安心したみたいに見えて。
ああ、
やっぱり好きだなと思った。
何度目かわからないくらい、
ちゃんと。
紗菜視点 第二章 言えなかった言葉
橋の上の夜風は、思っていたより冷たかった。
でも、不思議と寒くはなかった。
隣に湊がいる。
たったそれだけで、
昔から少しだけ世界の温度が変わる。
本当に、ずるい人だと思う。
「向いてないのかもしれない」
ぽつりと落ちたその言葉に、
私はすぐには返事をしなかった。
仕事のことだろうな、と思った。
春から始まった社会人生活。
忙しそうだった。
返信が遅い日も増えたし、
会ってもどこか疲れた顔をしていた。
でも、
自分から弱音を吐く人じゃない。
だから、
今この言葉を口にしたこと自体が、
きっと相当だった。
「好きなんじゃなかったの」
そう聞いたのは、
責めたかったからじゃない。
確認したかった。
ちゃんと、
まだ好きでいてくれているのか。
仕事のことも。
夢のことも。
自分自身のことも。
「好きだった」
その過去形に、
少しだけ胸が痛くなった。
ああ、
やっぱりこの人はそうやって、
自分の気持ちを先に諦める。
届かないと思った瞬間に、
好きだった、にしてしまう。
昔からそうだ。
野球も。
進路も。
たぶん、
恋も。
だから私は、
少しだけ意地悪を言った。
「それ、自分で言うの好きだよね」
不甲斐ない。
情けない。
無理だ。
向いてない。
湊はいつも、
自分を傷つける言葉を先に選ぶ。
誰かに傷つけられる前に、
自分で先に傷ついておくみたいに。
そんなの、
見ていて苦しいに決まってる。
本当は。
ちゃんと悔しいくせに。
ちゃんと頑張ってるくせに。
どうして自分だけ、
そんなに許してあげないんだろう。
だから。
「全部、背負ったまま飛べばいいじゃん」
その言葉は、
半分は彼に向けて。
半分は、
自分に向けてだった。
綺麗になってからじゃなくていい。
ちゃんとしてからじゃなくていい。
失敗も、
後悔も、
傷も。
全部あるままで。
それでも進むしかない時がある。
たぶん、
私もそうだった。
好きって言えないまま、
何年も隣にいた。
壊れるのが怖くて。
嫌われるのが怖くて。
でも。
そのまま時間だけが過ぎていく方が、
もっと怖かった。
だから、
私は知っていた。
この人が飛ぶ時は、
きっと今なんだって。
そして、
私も。
「羽って、ちゃんとした人にだけ生えるもんじゃないと思う」
自分で言いながら、
少し笑ってしまった。
名言っぽいな、と思った。
でも本気だった。
逃げたい時に、
どこかへ行きたいと思う衝動。
もう嫌だって思いながら、
それでも明日を迎えてしまうこと。
そういうのも、
ちゃんと羽なんだと思う。
湊が笑った。
その顔を見た瞬間、
少しだけ泣きそうになった。
よかった。
ちゃんと笑えた。
この人が笑うだけで、
こんなに安心するなんて。
我ながら重症だと思う。
「飛ぶ時ってさ」
あの時、
本当に伝えたかったのは。
怖いのは当たり前だってこと。
震えていいってこと。
それでも、
その先にしか見えない景色があるってこと。
それを、
どうしても伝えたかった。
たぶん私は。
彼に頑張ってほしかったんじゃない。
ちゃんと、
自分を諦めないでほしかった。
それだけだった。
「……やってみるよ」
その言葉を聞いた時。
胸の奥で、
何かが静かにほどけた気がした。
ああ。
やっと。
少しだけ、
前に進んだ。
夜空を見上げる。
狭い都会の空。
星は少ない。
でも、
ちゃんと朝に繋がっている。
きっと人生も同じだ。
今が夜でも、
ちゃんと朝は来る。
隣を見る。
まだ不器用で、
まだちゃんと不甲斐ない人。
でも。
だからこそ、
好きなんだと思った。
帰り道。
駅までの短い距離を、
並んで歩く。
何でもない話をして、
笑って。
そのたびに、
言えなかった言葉が喉まで上がる。
好き。
ずっと。
ずっと前から。
でも、
今夜は言わなかった。
まだじゃない。
ちゃんと、
この人が自分で選ぶまで。
私は待つ。
たぶん、
それが私のわがままだ。
でも。
待つだけじゃ、
もう終わりにしたいとも思っていた。
春の終わりの風が吹く。
少しだけ、
夏の匂いがした。
たぶん。
もうすぐだ。
この関係が、
ちゃんと変わる日が来る。
そんな予感だけが、
静かに胸の中に残っていた。
紗菜視点 第三章 先に飛ぶ日
あの日から、
少しだけ湊が変わった。
劇的に、じゃない。
相変わらず朝は弱いし、
仕事で落ち込むとすぐ顔に出るし、
「大丈夫」の信用度は相変わらず低い。
でも。
ちゃんと前を向こうとしているのが、
わかった。
返信の言葉が少し変わった。
「無理かも」じゃなくて、
「やってみる」
「向いてない」じゃなくて、
「悔しい」
そんな小さな違い。
でも、
私にはちゃんとわかった。
人って、
本当に飛び始める時、
そういうところから変わる。
それが嬉しかった。
嬉しくて。
……少しだけ、苦しかった。
六月のはじめ。
会社でその話を聞いた時、
最初は現実味がなかった。
「大阪支社への異動、お願いできる?」
上司は軽い口調でそう言った。
期待してる、という言葉も添えて。
嬉しかった。
ちゃんと評価されていること。
任せてもらえること。
新しい場所で挑戦できること。
全部、
ずっと欲しかったものだった。
でも。
頭に浮かんだのは、
仕事のことじゃなかった。
真っ先に思い出したのは、
あの橋の上で、
夜空を見上げていた湊の背中だった。
ああ。
離れるんだ。
そう思った瞬間、
胸の奥が、静かに痛んだ。
好きって、
こういう時に一番わかる。
未来の話をした時に、
その人がいない景色が、
ちゃんと寂しい。
それが答えだった。
返事は少しだけ待ってもらった。
その夜、
私は一人で歩いた。
川沿いの道。
あの橋。
最近は、
なんだか人生の大事なことばかり
ここで考えている気がする。
風が吹く。
春は終わって、
ちゃんと夏が近づいていた。
もし。
今ここで、
「行きたくない」って言ったら。
湊は、
引き止めてくれるだろうか。
そんなことを考えてしまう自分が嫌だった。
ずるい。
本当に。
好きだからこそ、
言ってほしい。
でも、
好きだからこそ、
言わせたくない。
この人には、
ちゃんと自分で飛んでほしい。
私のためじゃなく。
自分の人生のために。
それが、
ずっと願っていたことだった。
だから。
決めた。
行こう。
ちゃんと。
怖くても。
寂しくても。
先に飛ぼう。
あの人が、
ちゃんと追いかけたくなるくらい。
自分の人生を、
ちゃんと生きよう。
それがたぶん、
私なりの告白だった。
喫茶店で待ちながら、
手が少し震えていた。
昔から来ていた場所。
プリンの甘い匂い。
窓際の夕陽。
懐かしいはずなのに、
今日はやけに遠く感じる。
扉のベルが鳴る。
湊が入ってくる。
少し急いできたみたいな顔。
その瞬間、
泣きそうになった。
本当に、
こういう時に限って好きが増える。
ずるい。
「遅い」
いつものように言う。
普通を装う。
大事な時ほど、
人は普通のふりをする。
たぶん、
彼もそうだ。
しばらく、
どうでもいい話をした。
プリンのこと。
昔のこと。
仕事のこと。
でも、
ちゃんとわかっていた。
この時間は、
長くは続かない。
言わなきゃいけない。
ちゃんと。
「私、来月から大阪行く」
言った瞬間。
時間が止まったみたいだった。
湊の顔。
驚いた顔。
言葉を探してる顔。
その全部が、
痛いくらいに愛しかった。
「……そっか」
それだけだった。
ああ、
やっぱり。
この人は、
大事な時ほどちゃんと言わない。
胸が少しだけ苦しくなる。
責めたいわけじゃない。
でも。
ちゃんと知ってほしかった。
私がどれだけ待っていたか。
どれだけ、
隣にいたかったか。
どれだけ、
好きだったか。
だから言った。
「私が好きって言いかけた時も」
彼の呼吸が止まる。
知ってた。
ちゃんと気づいてた。
でも、
見ないふりをした。
その優しさが、
ずっと少しだけ残酷だった。
「私、ずっと待ってた」
それは責める言葉じゃなくて。
祈りみたいなものだった。
この人が、
ちゃんと選ぶ日を。
自分で。
逃げずに。
ちゃんと。
「でもね」
私は笑った。
泣きそうだったけど。
ちゃんと。
「人って、待ってるだけじゃダメなんだって最近わかった」
だから。
行く。
大阪に。
仕事も、
人生も、
ちゃんと自分で選ぶ。
飛ぶ。
怖くても。
その言葉を言った時、
不思議なくらい心が静かだった。
そして。
「先に飛ぶなよ」
そう言った湊の顔を見た瞬間。
ああ。
やっとだ、と思った。
遅い。
本当に遅い。
でも。
その遅さごと、
ずっと好きだった。
だから私は、
泣きそうに笑いながら言った。
「遅いんだよ」
たぶん、
この恋はここから始まる。
長すぎた助走のあとで。
ようやく。
ちゃんと。
紗菜視点 第四章 やっと届いた言葉
喫茶店を出た時、
空はもう夕焼けに変わっていた。
オレンジと青のあいだ。
昼と夜の境目。
こういう時間は、
いつも少しだけ胸がざわつく。
何かが終わる気がして、
でも何かが始まる予感もして。
今日がまさにそうだった。
商店街を抜ける。
昔よく寄ったコンビニ。
高校の帰り道。
古い橋へ続く道。
全部、
ちゃんと覚えている。
きっと湊も同じだ。
だから自然に、
二人の足はあの橋へ向かっていた。
人生の大事なことが、
だいたいここで起こる。
本当に、不思議だと思う。
橋の真ん中で立ち止まる。
川の水が夕陽を反射して、
きらきらと揺れていた。
風が吹く。
少しだけ冷たい。
でも、
ちゃんと夏の匂いがした。
私は黙っていた。
今度は、
待つ番だった。
ここまで来たら、
もう私からは言わない。
ちゃんと、
この人の言葉で聞きたかった。
逃げるかもしれない。
また笑ってごまかすかもしれない。
それでも。
信じたかった。
あの夜、
「やってみる」と言った人を。
「湊」
先に名前を呼ぶ。
少しだけ意地悪に。
「また逃げる?」
本当は、
怖かった。
ここでまた曖昧にされたら。
ちゃんと終わってしまう気がした。
でも、
言わなきゃいけなかった。
この人には、
最後の一歩を自分で踏み出してほしかった。
湊は、小さく息を吐いた。
「……逃げたくは、ある」
その正直さに、
少しだけ笑いそうになる。
そういうところなんだよ。
好きなのは。
格好つけきれないところ。
ちゃんと弱いところ。
それでも前を向こうとするところ。
全部。
「でも」
その一言で、
空気が変わった。
私は黙って、
ただ彼を見ていた。
「ずっと、お前に甘えてた」
その言葉を聞いた瞬間、
胸の奥がじんと熱くなった。
そう。
たぶん、それが全部だった。
いてくれることを当たり前にして。
好きを言わなくても、
隣にいられると思っていた。
でも。
それは優しさじゃない。
ただの甘えだった。
私もわかっていた。
だから、
ずっと待っていた。
「失うのが怖かった」
そう言う声が、
少し震えていた。
たぶん、
今この人は人生で一番怖いんだと思う。
飛ぶ時だから。
それでも。
ちゃんと、
こっちを見ていた。
それだけで、
泣きそうになる。
「お前がいなくなることだった」
その一言で。
ずっと張っていたものが、
全部ほどけた気がした。
ああ。
ちゃんと、
届いた。
長かった。
本当に長かった。
高校の教室から。
夕焼けの窓際から。
ずっとずっと待っていた言葉。
ようやく、
ここまで来た。
「好きだ」
その瞬間。
世界の音が、
少しだけ遠くなった気がした。
川の音。
風の音。
遠くの電車。
全部、
背景になっていく。
「ずっと、好きだった」
涙が出そうだった。
というか、
たぶんもう出ていた。
ずるい。
本当に。
そんなの、
今さら反則だ。
でも。
待ってよかった。
ちゃんと。
「行かないで、って言いたい」
その言葉に、
胸が痛くなる。
たぶん、
私も同じだった。
行かないでって、
何度も思った。
言いたかった。
でも。
その次の言葉が、
この人らしくて。
どうしようもなく、
好きだった。
「ちゃんと飛んでほしい」
ああ。
そうだ。
それなんだ。
好きだから、
止めたい。
好きだから、
行ってほしい。
矛盾してる。
でも、
恋ってたぶん、
そういうものだ。
完璧じゃなくて。
綺麗じゃなくて。
ちゃんと不器用で。
だから、
本物なんだと思う。
「大阪でも、その先でも」
「ちゃんと隣にいたい」
もう駄目だった。
涙が止まらない。
こんな顔、
絶対ひどいのに。
でも、
どうでもよかった。
「……ほんとに」
やっと出た言葉が、
それだった。
本当はもっと、
格好いいことを言いたかった。
でも。
恋ってこういうものだ。
泣きながら、
笑ってしまうものだ。
「遅い」
何年分だろう。
この一言に入ってるの。
好きだった時間。
待っていた時間。
言えなかった言葉。
全部。
「私も、好き」
ようやく。
ちゃんと。
声にできた。
その瞬間。
世界が、
少しだけ優しくなった気がした。
彼が近づく。
距離がなくなる。
ずっと近かったのに、
本当はずっと遠かった距離。
それが、
ようやく消えていく。
夕焼けと夜のあいだ。
向かい風の橋の上で。
私は初めて、
ちゃんと恋人になった。
遅い。
本当に。
でも。
だからこそ、
きっと忘れない。
この日を。
この風を。
この人の、
震える声を。
飛ぶ時は怖い。
何回だって。
でも。
この人となら。
ちゃんと飛べる。
そう思えた。
紗菜視点 第五章 離れても、ちゃんと
橋の上で恋人になった次の日。
朝、目が覚めた瞬間から、
私は天井を見つめたまま動けなかった。
……恋人。
その単語の破壊力がすごい。
昨日まで、
幼なじみ。
好きな人。
ずっと片想いしていた人。
それが一晩で、
恋人。
人生って、
時々信じられないくらい急に変わる。
スマホを見る。
まだ朝の七時。
送るには早いかな、
でも送らないのも変かな、
いやでも恋人なんだし——
そんなことを十分くらい悩んだ末に、
『起きてる?』
と送った。
送った瞬間、
死ぬほど恥ずかしくなった。
何それ。
重い。
朝から重い。
消したい。
でももう遅い。
ベッドの上で一人、
顔を埋めて悶えていたら。
数秒後。
『起きてる』
その一言だけで、
心臓が大変なことになった。
ばかみたいだ。
本当に。
『今日ちゃんと会社行く?』
『信用がない』
『あると思ってた?』
『ひどい』
思わず笑ってしまう。
変わらない。
でも、
ちゃんと変わった。
そのことが嬉しくて、
少しだけ泣きそうになる。
恋って、
もっと劇的なものだと思っていた。
世界が変わるとか。
空気が変わるとか。
もちろん、それもある。
でも実際は。
こういう、
どうでもいいやり取りの中に
ちゃんとあるんだと思った。
六月。
大阪行きまで、
あと三週間。
カレンダーを見るたび、
胸の奥が少しだけきしむ。
嬉しい。
怖い。
寂しい。
全部同時にある。
たぶん、
大人になるってこういうことなんだろう。
一つだけの感情じゃ、
生きられなくなる。
ある夜。
仕事帰り、
駅前で湊と待ち合わせた。
金曜の夜。
少し浮ついた街。
居酒屋の笑い声。
信号待ちの人たち。
夏の手前の、少し湿った風。
並んで歩く。
手を繋ぐ。
まだ少しぎこちない。
そのぎこちなさが、
たまらなく愛しかった。
「仕事どうだった?」
そう聞くと、
湊が少しだけ得意そうな顔をした。
「ちょっと褒められた」
「え、すごいじゃん」
「かなり珍しい」
「赤飯だね」
「そこまでではない」
笑う。
本当に、
こういう普通の時間が好きだった。
特別じゃない。
でも、
この人といるだけでちゃんと特別になる。
それが、
たぶん恋なんだと思う。
信号待ち。
ふと、
聞いてしまった。
「離れるの、やっぱり寂しい?」
本当は、
聞かないつもりだった。
ずるい質問だと思ったから。
でも、
知りたかった。
ちゃんと。
この人の本音を。
湊は少しだけ空を見た。
逃げる時の癖だ。
でも、
今度はちゃんと戻ってきた。
「……うん」
その一言に、
胸が少し熱くなる。
「すごく寂しい」
ああ。
ちゃんと言ってくれた。
それだけで、
こんなに救われるなんて。
「私も」
小さく返す。
たぶん、
その時の顔はあまり見せたくなかった。
泣きそうだったから。
でも。
次の言葉で、
もっと駄目になった。
「寂しいから、ちゃんと頑張れる気もする」
私は思わず彼を見た。
「追いつきたいって思うし」
「負けたくないし」
「ちゃんと隣に立てる自分でいたい」
その言葉が、
まっすぐ胸に入ってくる。
ああ。
この人はちゃんと飛び始めてる。
私がずっと見たかった背中を、
今ちゃんと見ている。
それが、
嬉しくて。
誇らしくて。
泣きそうになる。
「そういうとこ、好き」
思わず口に出ていた。
心臓に悪い顔をされた。
面白い。
もっと言えばよかった。
本当に。
離れることは、
やっぱり怖い。
会いたい時に会えない。
疲れた日に、
隣にいられない。
すれ違うかもしれない。
寂しくなるかもしれない。
それでも。
この人となら、
ちゃんと大丈夫だと思えた。
根拠なんてない。
でも、
信じられる。
たぶん、
それが愛なんだと思う。
夜風が吹く。
夏が近い。
別れの日も近い。
でも。
終わりじゃない。
ちゃんと始まりだ。
それぞれの空へ飛んでいくための。
手を繋ぐ。
ぎこちなく。
でも、
ちゃんと強く。
その温度が、
未来を信じさせてくれる。
離れても。
ちゃんと好きでいられる。
そう思えた。
それはたぶん、
恋が愛に変わる瞬間だった。
紗菜視点 第六章 行ってきますの意味
七月。
夏は、気づいたらもう目の前にいた。
朝から蝉が鳴いていて、
アスファルトの熱が夜まで残る。
駅までの道を歩くだけで、
少しだけ息が苦しくなる。
大阪へ行く日。
その朝、
私は驚くほど普通に目を覚ました。
もっと泣くと思っていた。
もっと何も手につかなくなると思っていた。
でも実際は。
カーテンを開けて、
晴れてるな、と思って。
洗面所で髪を整えて、
忘れ物ないかな、と確認して。
母に
「ちゃんと食べなさいよ」
なんて言われて。
本当に、
びっくりするくらい普通だった。
人生の大きな日って、
案外こういうものなのかもしれない。
でも。
胸の奥だけは、
ずっと静かに騒がしかった。
昨夜のメッセージ。
『寝坊しないでね』
『子どもじゃない』
『信用がない』
『ひどい』
そのやり取りのあと。
私は少し迷って、
『ちゃんと来て』
と送った。
送ってから、
かなり後悔した。
重い。
すごく重い。
でも。
どうしても、
ちゃんと来てほしかった。
最後に、
ちゃんと顔を見たかった。
ちゃんと、
好きな人の顔を見て、
飛びたかった。
東京駅。
新幹線ホームの匂いって、
どうしてこんなに特別なんだろう。
旅立ちの匂い。
別れの匂い。
始まりと終わりが、
同時にある場所。
キャリーケースを引きながら、
改札の前で立ち止まる。
人が多い。
スーツの人。
旅行客。
家族連れ。
みんな、
それぞれの人生を持って通り過ぎていく。
その中で、
私はただ一人を探していた。
少しして。
人混みの向こうに、
見慣れた顔が見えた。
その瞬間。
変な安心で、
泣きそうになった。
ちゃんと来た。
本当に。
ばかみたいに、
それだけで泣きそうになる。
「遅い」
口を開いたら、
最初に出たのはそれだった。
本当は
会いたかった、
のはずなのに。
こういう時ほど、
素直じゃなくなる。
「十分前」
「女の子を待たせました」
「その理論まだ使うのか」
「一生使う」
笑う。
少しだけ震えながら。
いつものやり取り。
その普通が、
ものすごくありがたかった。
二人でベンチに座る。
あと二十分。
たった二十分。
短すぎる。
でも、
長すぎる。
大事なことほど、
時間の感覚が変になる。
どうでもいい話をした。
大阪の部屋のこと。
職場のこと。
たこ焼きのこと。
本当に、
どうでもいいことばかり。
でも、
たぶんそれでよかった。
最後まで、
全部を特別にしなくていい。
普通の延長線の先に、
ちゃんと未来がある。
それが私たちらしい。
「ちゃんと寝るんだよ」
思わず、
母親みたいなことを言ってしまう。
でも、
本当に心配だった。
この人、
放っておくとすぐ自己嫌悪する。
ちゃんとご飯を食べない。
ちゃんと休まない。
ちゃんと無理をする。
だから。
「仕事、ちゃんとわがままでいて」
そう言った。
橋の上で、
私が言ったこと。
ちゃんと飛んでほしい。
ちゃんと自分でいてほしい。
それを忘れないでほしかった。
「私もそうする」
その言葉は、
自分への約束だった。
大阪で。
一人で。
ちゃんと飛ぶ。
怖くても。
寂しくても。
好きな人がいるから、
頑張れるんじゃない。
好きな人に、
ちゃんと胸を張りたいから頑張れる。
たぶん、
それが今の私だった。
発車案内が鳴る。
もう駄目だ、と思った。
あと少しで、
本当に離れる。
笑っていたいのに、
ちゃんと笑えない。
「じゃあ」
そう言った瞬間、
喉が詰まりそうになる。
「行ってくる」
その一言。
帰ってくる前提の言葉。
それをちゃんと選べた自分を、
少しだけ褒めたかった。
終わりじゃない。
ちゃんと続いていく。
そう信じたかった。
「待ってる」
その返事を聞いた瞬間。
涙が出そうになった。
いや、
たぶんもう出ていた。
ずるい。
本当に。
待ってる。
その言葉って、
こんなに救いになるんだ。
でも。
次の言葉で、
完全に泣いた。
「待ってるだけじゃない」
ちゃんと進む。
ちゃんと自分を好きになる。
次に会う時、
ちゃんと隣に立てるようにする。
その言葉を聞いて。
ああ。
大丈夫だと思った。
離れても。
ちゃんと。
好きでいられる。
「離れても、ちゃんと好きでいる」
その一言は、
たぶん一生忘れない。
私はとうとう泣いた。
駅で泣くの、
絶対嫌だったのに。
全部無理だった。
好きって、
本当にこういうことなんだと思う。
強くなることじゃない。
ちゃんと弱くなることだ。
「大好き」
やっと言えた。
何度でも言いたかった言葉。
抱きしめられる。
夏の匂い。
駅の音。
発車ベル。
全部が、
この瞬間に焼きついていく。
離れる。
改札の向こうへ。
何度も振り返る。
最後に、
思いきり手を振った。
ちゃんと笑って。
泣きながら。
新幹線に乗り込む。
窓の外。
小さくなっていく、
大好きな人。
胸が痛い。
寂しい。
でも。
不思議なくらい、
前を向けた。
これは喪失じゃない。
旅立ちだ。
終わりじゃない。
飛ぶ時だ。
新幹線が走り出す。
東京の景色が、
少しずつ遠ざかっていく。
私は窓の外を見ながら、
静かに思った。
ちゃんと飛ぼう。
怖いまま。
泣きながらでも。
この恋を、
ちゃんと未来にするために。
「行ってきます」
その意味を、
これから何度も思い出す気がした。
紗菜視点 第七章 会えない夜に育つもの
大阪に来て、一ヶ月が過ぎた。
最初の一週間は、
本当に毎日が戦いみたいだった。
知らない駅。
知らない道。
知らない人たち。
エスカレーターの立つ位置すら違うことに、
妙に心が疲れた。
小さなワンルーム。
白い壁。
まだ馴染まない家具。
段ボールの匂い。
夜になると、
静かすぎて少し怖かった。
東京にいた頃は、
会いたいと思えば会えた。
仕事帰り、
「今どこ?」って送れば、
たいていあの駅前にいた。
でも今は違う。
会いたい、だけじゃ届かない距離。
それが思っていたより、
ちゃんと寂しかった。
仕事も大変だった。
新しい部署。
新しい人間関係。
「東京から来たんや」
って笑いながら言われるたびに、
まだ自分がよそ者なんだとわかる。
任されることは増えて、
でもできないことの方がもっと増える。
帰り道。
一人でコンビニの袋を下げながら、
急に泣きたくなる夜もあった。
なんでこんなに頑張ってるんだろう。
ちゃんと飛ぶって、
こんなに苦しいんだっけ。
そんな時。
スマホが鳴る。
『ちゃんとご飯食べてる?』
その一文だけで、
少しだけ呼吸が楽になる。
ずるい。
本当に。
画面越しなのに、
ちゃんと救われてしまう。
金曜日の夜。
ようやく一週間が終わって、
私はベッドの上に倒れ込んでいた。
化粧も落としてない。
たぶんひどい顔。
でも、
スマホが鳴った瞬間、
ちゃんと起き上がる。
湊からのビデオ通話。
少しだけ深呼吸して、
通話を取る。
画面の向こう。
見慣れた部屋。
見慣れた顔。
それだけで、
ものすごく安心する。
「……それで、そのクライアントがさ」
始まった瞬間、
ちょっと笑ってしまった。
この人、
本当に疲れると同じ話を何回もする。
『それこの前も言ってた』
「え」
『三回目』
「そんなに?」
『ちゃんと疲れてるね』
笑う。
こういう時間が、
ちゃんと今の私を支えている。
会えないからこそ。
声が届くことが、
こんなに大事になる。
「そっちは?」
そう聞かれて、
少しだけ嬉しくなった。
ちゃんと聞いてくれる。
ちゃんと、
私の人生に興味を持ってくれる。
それが、
すごく嬉しい。
『今日ね、初めて一人でプレゼン任された』
「え、すごいじゃん」
『死ぬかと思った』
「それはわかる」
『声、震えてたと思う』
でも。
ちゃんとやった。
逃げなかった。
それを言える自分が、
少しだけ誇らしかった。
『うん』
その一言に、
全部が詰まっていた気がする。
頑張ったこと。
怖かったこと。
泣きそうだったこと。
それでも飛んだこと。
全部。
「会いたいな」
その言葉に、
思わず息が止まった。
珍しい。
本当に珍しい。
この人、
こういうことをちゃんと言うようになった。
それが嬉しくて、
少しだけ泣きそうになる。
『珍しく素直』
って返したけど、
本当は画面越しに抱きしめたかった。
『私も』
ちゃんと口にする。
好きって、
言わないと届かない。
距離があるなら、
なおさら。
『すごく会いたい』
その言葉を言えた自分を、
少しだけ好きになれた。
前なら、
飲み込んでいた。
重いかな、とか。
迷惑かな、とか。
そういうことばかり考えて。
でも今は違う。
ちゃんと好きでいるって、
こういうことなんだと思う。
通話が終わったあと。
静かな部屋。
窓の外には、
大阪の夜。
遠くの車の音。
少し湿った夏の風。
私はベッドの上で、
しばらくスマホを見つめていた。
会えない時間って、
ただ寂しいだけじゃない。
ちゃんと育つものがある。
信じることとか。
待つこととか。
言葉を大切にすることとか。
一緒にいない時間にしか、
強くなれない気持ちもある。
たぶん、
今の私たちはそうだった。
スマホが震える。
『あとね』
追加のメッセージ。
『ちゃんと好きでいてくれてありがとう』
その文字を見た瞬間。
涙が出た。
本当に、
ずるい。
ありがとうなんて、
こっちの言葉なのに。
何度も、
何度も救われてきた。
橋の上でも。
ホームでも。
この知らない街の夜でも。
ちゃんと、
好きでいてくれること。
それが、
こんなにも人を強くする。
私は涙を拭いて、
ゆっくり返信を打つ。
『こちらこそ』
少し迷って。
もう一行。
『次会う時、もっとちゃんと綺麗になってる予定』
すぐ返ってくる。
『予定なの?』
思わず笑う。
本当に。
こういうところだ。
何度だって好きになる。
窓の外。
夜の向こうに、
少しだけ朝の気配がある。
まだ遠い。
でも、
ちゃんとそこにある。
人生も恋も、
たぶん同じだ。
劇的じゃなくていい。
ちゃんと毎日、
好きでいられたら。
それだけで、
ちゃんと未来になる。
私は静かに目を閉じた。
会えない夜に育つものを、
ちゃんと信じながら。
紗菜視点 最終章 朝焼けのその先へ
八月。
朝から、落ち着かなかった。
大阪の空は今日も青くて、
蝉の声がうるさいくらい響いている。
なのに、
私の心臓だけが変なリズムで鳴っていた。
湊が来る日。
たったそれだけで、
こんなに世界が騒がしくなるなんて。
朝から部屋を三回掃除した。
いらないのに、
観葉植物の位置まで変えた。
服も何回も着替えた。
白いワンピース。
いや、こっちじゃない。
でも頑張りすぎた感じも嫌だ。
結局また最初に戻る。
本当に、
恋って非効率だと思う。
鏡の前で、
自分に小さく言う。
「落ち着け」
無理だった。
駅までの道。
日差しが強い。
汗が滲む。
でも、
不思議なくらい嫌じゃなかった。
会える。
ちゃんと会える。
画面越しじゃなくて。
声だけじゃなくて。
ちゃんとこの手で触れられる距離に。
改札の前。
人が多い。
旅行客。
家族連れ。
カップル。
みんな、
誰かを待っている。
その中で、
私も一人。
少しだけ背伸びをして、
人混みの向こうを探す。
そして。
見つけた。
見慣れた歩き方。
少し急いでる時の顔。
その瞬間。
胸の奥が、
一気にほどけた。
ああ。
会いたかった。
本当に。
走った。
たぶん向こうも。
気づいたら、
ちゃんと抱きしめられていた。
人目とか、
そんなのどうでもよかった。
「……会いたかった」
たぶん、
同時だった。
肩が少し震える。
自分なのか、
彼なのかわからない。
でも、
きっと両方だった。
会えない時間は、
ちゃんと寂しかった。
でも。
だからこそ、
この瞬間がこんなにも嬉しい。
「痩せた?」
最初にそれを言った自分を、
少し殴りたかった。
でも、
本当に気になった。
この人、
絶対ちゃんと食べてない。
「それ、再会一発目?」
「重要事項です」
変わらない。
そのことが、
泣きそうなくらい嬉しい。
大阪の街を歩く。
たこ焼きを食べて、
熱いって騒いで、
夜景を見て。
特別なことなんて、
何もしていない。
でも。
好きな人といるだけで、
ちゃんと全部が特別になる。
それを知ってしまった。
夜。
淀川沿いの土手。
人も少なくて、
風が少しだけ優しい。
遠くの街の灯りが、
水面に揺れていた。
こういう場所、
本当に好きだなと思う。
橋とか、
川とか。
人生の大事なことは、
だいたいこういう場所で起こる。
「結局、橋とか川とか好きだよね私たち」
そう言ったら、
湊が笑った。
「人生の大事なこと、だいたい橋の上で決まってる」
本当にそうだ。
あの橋の上。
あの告白。
あの日から、
ちゃんと全部が変わった。
「仕事、どう?」
そう聞かれて、
少しだけ空を見た。
大変。
本当に。
悔しい日もある。
帰りたくなる日もある。
でも。
それでも。
「ちゃんと飛んでる感じはする」
それが一番近い言葉だった。
怖い。
寂しい。
でも、
ちゃんと前に進んでいる。
それが今の私。
湊も、
同じだと言った。
その顔を見て、
少しだけ安心する。
ちゃんと飛んでる。
この人も。
ちゃんと。
それが何より嬉しい。
しばらくして。
湊が少しだけ、
変な顔をした。
深呼吸して。
空を見て。
ああ、
これは何かある。
長い付き合いだからわかる。
「俺さ」
その声で、
もう心臓が危なかった。
嫌な予感じゃない。
でも、
人生が変わる時の予感。
そういう静かな震え。
「まだ全然、格好よくなれてない」
思わず笑った。
「知ってる」
本当に。
そこが好きなんだから、
仕方ない。
でも。
次の瞬間。
彼がポケットから
小さな箱を出した時。
世界が、
本当に止まった気がした。
呼吸ができない。
音が遠い。
川の音だけが、
やけに鮮明だった。
開かれた箱。
小さな指輪。
夜の中で、
ちゃんと光っていた。
泣きそうだった。
いや、
たぶんもう泣いていた。
ずるい。
本当に。
こんなの、
反則だ。
「これから先も」
不甲斐ないこと。
失敗すること。
面倒くさいこと。
全部。
全部ちゃんと、
この人らしくて。
全部知ってる。
全部好きだ。
「結婚してください」
その言葉を聞いた瞬間。
長かったな、
と思った。
高校の教室。
夕焼けの窓際。
言えなかった好き。
待ち続けた時間。
橋の上。
ホームでの涙。
会えない夜。
全部。
全部が、
この一瞬に繋がっていた。
涙が止まらなかった。
格好悪い。
でも、
どうでもよかった。
「……ほんとに」
やっとそれだけ言って。
「遅い」
何年分だろう。
この一言に入ってるの。
好きだった時間。
待ってた時間。
祈ってた未来。
全部。
「お願いします」
その返事をした瞬間。
ようやく。
本当にようやく。
この恋が、
人生になった気がした。
抱きしめられる。
強く。
今度は、
離れないように。
東の空が、
少しだけ白くなっていた。
朝焼け。
夜の終わり。
でも、
同時に始まりでもある色。
たぶん人生って、
ずっとこれなんだと思う。
終わりながら、
始まっていく。
怖いまま。
泣きながら。
それでも飛ぶ。
この人となら。
何度でも。
ちゃんと。
朝焼けのその先へ。
私たちの未来は、
まだ始まったばかりだった。
~完~
紗菜視点は、
「待つこと」と
「ちゃんと自分も飛ぶこと」
その両方がすごく大切な物語。
ずっと見ていた背中。
言えなかった言葉。
橋の上の夜。
ホームでの「行ってきます」。
そして最後の、
朝焼けのその先へ続く未来。
あの全部が、
紗菜にとっての“飛ぶ時”。
湊とは違って、
静かに強い人。
でも本当は、
ちゃんと怖くて、
ちゃんと泣いて、
それでも前に進む人。
そこが紗菜の魅力的な部分です。
そんな部分を一緒に感じてもらえたなら
すごく嬉しいです。
ここまで読んでいただき…本当にありがとうございました(*^-^*)
冒頭にも書きましたが、彼側の視点ストーリを読んでいないようでしたら読んでみてくださいρ(._.*)ρ

また、他にも『Vaundy』の名曲を紹介しておりますので併せてご覧くださいρ(._.*)ρ





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